分岐前


「いや…たとえ義母さんと義姉さんの命令でもそれだけは絶対にイヤッ!!」  背後は壁……今まで何とか逃げまわっていたけれど、ついに追い詰められてしまったあたしは目の前に立つ二 人の女性――義母と夏美に負けるものかと言わんばかりに鋭い視線を向ける。 「たくや……あんた、あたしにそんな口が聞けると思ってんの?女になるたんびにあたしの服を勝手に使ってる そうじゃない。あの制服だって大事に取っといたのにな〜〜」 「それにね、これは女の子だったら一度は夢見るものなのよ。たくやも女の子になったんだし、経験しておいて 損はないと思うけど」 「あるあるある! あたしの男としてのプライドがなくなるの!」 「そんなの元からありゃしないわよ。ちょくちょく女になってるくせして」 「ぐっ…あ、あたしだって好きでなってるわけじゃないのにぃ〜〜!」 「ああ、うざったい。母さん、こうなりゃ実力行使よ。無理矢理にでも…ふっふっふっ…!」 「そうねぇ…早くしないと明日香ちゃんも来ちゃうものね」 「だからたくや、神妙にしなさいよ」 「やだ…いやいや…あたしは…あたしは着物なんて着たくないのにぃぃぃ〜〜〜〜〜!!!」 「こんにちは〜。おばさん、明けましておめでとうございます」 「ええ、おめでとう。今年もたくやをよろしくね」 「はい。それでそのたくやは? やっぱり言ってたとおり……」 「今は奥で夏美が着付けを――」 「え〜〜ん、明日香ぁぁぁ〜〜〜! これ、何とかしてよぉ〜〜!!」  リビングの方から、今日一緒に初詣に行く約束をしていた明日香の声が聞こえると、あたしはすぐさま奥の部 屋から飛び出てきて夏美よりも話の通りそうな明日香に泣きついた。 「あっ…たくやなの? すっごく似合ってる♪」 「……明日香、そうじゃなくてこんなの着ないですむように二人を説得してよ……」 「ええ〜、別にいいじゃない、一日ぐらいなら。せっかくのお正月なんだし。ね、おばさん♪」  この笑顔……明日香も一枚噛んでるわけね……とほほ……もはやあたしに逃げ道はないのか……  とはいえ、もう逃げたりやめさせたりするどころではなく、あたしはとうに赤い着物を夏見と義母の手で着せ られてしまっていた。  赤地に黄や白の糸で風景が描かれ、見た目には美しいけれど着ているあたしにはそんなのを鑑賞している余裕 などまったくない。いつも着ている服よりも重く肩に圧し掛かっているし、歩きにくい上に足に履いた足袋はフ ローリングで滑りそうだし、下着も……特に胸は着つく押しつぶされていて呼吸が苦しいほどだし。  今までに着物を着ている女の人を見て綺麗だなって思ったことはあるけれど、それがこんなにキツいものだな んて……とほほ…… 「でも、本当。よく似合ってるわよ、たくや」 「そ…そうかな……誉められたら悪い気はしないけど……」 「そうそう、このお尻にラインなんて見事なもんよ」 「ひゃあっ!? ね、義姉さん、なにすんのよ!?」  突然着物に浮き上がったお尻のラインを撫で上げられ、振袖で隠しながら振りかえった先にはチロッと舌先を 出して悪びれた表情をする夏美がいた。 「この日の為に呉服屋でバイトしたんだからなかなかの着付けでしょ? 妹思いの姉に感謝する事ね」 「妹じゃなくて弟! それに義弟思いだったら薬の研究費を貸してくれる方が何倍もありがたいんだけど……」 「それじゃあたしが全然面白くないじゃない。たくや、これだけの事をしてあげたんだから、あたしがいいと言 うまでずっと女でいなさいよ、わかったわね」  こ…この義姉は……あたしをからかったり弄ぶための苦労は惜しまないのね……とことん根性捻ってるなぁ… … 「それにしてもたくや……下着のラインがまるで見えないけど、本当に……」 「明日香まで何言ってるのよ。一応ちゃんと履いてるわよ、一応……」 「そう、一応ね。あたしが持ってきたレオタード用の――」 「あああ〜〜〜、だめ、それを言っちゃダメ!! 明日香、あたし先に行くからね!」 「あ、ちょっと待ってよ、たくやってば〜〜!」 「いってらっしゃ〜い。お二人とも、ごゆっくり〜〜」  あ、あれはっ!? な、夏美のヤツ、なんて物を振りまわしてるのよぉ〜〜!!  これ以上夏美にとんでもない事を口走らせる前にと袖をひるがえして外に出たあたしだけど、その視界の端に 映ったのは、何を考えているかわからない義姉がハンカチの様に振っているあたしの下着だった―― 「うわぁ、やっぱり混んでるね。……明日香、初詣なんか行かなくてもいいんじゃないかな?」 「なに言ってるの! ちゃんとお参りして「たくやが男に戻れますように」ってお願いするんだから。着物をどう こう言うよりも、今年はそう言った心構えを持ちなさいよね」  なによ、自分だって着物の事を知ってて黙ってたくせに……それに着物姿での痴漢は…いつもと変な感じがし ちゃったし……  バスで神社前の停留所までやってきたあたしたちは初詣にきた人たちで混み合っている参道を目にして足を止 めていた。お正月という事もあるけど、あまり人ごみが好きじゃないあたしには、なるべくなら足を踏み入れた くないぐらいの人だかりである。  こんな所に入っていったら、またお尻とか触られちゃうんだろうな……制服のスカートみたいにたくし上げら れて直接肌に触られる事はないけど、側に明日香がいるって言うのにピッタリ背後に寄り添ってお尻の谷間に指 を這わせてくるんだもん。ばれない様にビクンって体を震わせて……ちょっと…濡れちゃった……  これが新年の痴漢初めか……なんて事を考えながら人ごみの中を明日香に手を引かれて進んでいく。あたしの 心配を余所に、足をとめる事無く進んで行くあたしたちに男が寄ってくる暇もなく、履きなれない下駄と足袋の 組み合わせにつまずき掛けながらも何とか参道の中ほどまでやってきた。  そんな時だ。明日香が急に足を止めたのは。 「あれ? たくや、あれって……」  そう言いながら明日香が指差した先には―― 1・地響きをたてながら怒涛の人ごみがあたしたちに向かってやってきた! 2・去年の担任の宮村先生がぼんやり歩いていた。


続く
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